抜歯時などの休薬で死亡、重症脳梗塞

 抗血栓療法患者が経験する頻度の高い観血的処置の一つに、歯科での抜歯が挙げられる。1998年には抜歯時に抗血栓療法を中断した患者542例の予後に関する複数の症例報告の解析が報告(Arch Intern Med. 1998;158: 1610-1616)。

493例592回の抜歯で5例に血栓塞栓症が起こり、うち4例が死亡、1例に2箇所の非致死性血栓塞栓イベントが起こっていた。

矢坂氏は「抜歯時にワルファリンを中止した場合の血栓・塞栓症の発症率は約1%だが、一度発症すれば重篤であること、日本のワルファリン使用患者数が現在約100万人と考えると決して見過ごしてよい数字とは言えない」と指摘する。

 矢坂氏らによる抗凝固療法中に脳梗塞を発症した23例の検討でも、抗凝固療法が意図的に中止されていた8例は抗凝固療法を中止していなかった15例に比べ、脳卒中の平均重症度スコア(NIHSS)が19(非中止群は3.5)と非常に悪く、心原性脳塞栓症が100%(非中止群は46.7%)。退院時歩行困難(mRS3以上)の割合が71.4%(非中止群は21.4%)と、予後が非常に不良であるとの結果が示されている(Thromb Res 2006; 118: 290-293)。抗凝固療法中止群8例のうち4例は「抜歯」が中止の理由だった。

抜歯時休薬で脳梗塞、歯科医や循環器医には伝わらない

 この検討における休薬期間中央値は4.5日、休薬から発症までの中央値は7.5日。矢坂氏は「だいたい、休薬から2-3日で脳梗塞が起こっている。この時期には、歯科での処置は終わっており、歯科医には患者が脳梗塞を起こしたと情報が行かない可能性もある。一方、脳梗塞を起こせば脳卒中診療専門施設に搬送されるので、ワルファリンを処方している循環器専門医も"あの患者さんは最近来ていない"と思われている可能性がある。脳卒中専門医にとっては以前から重要な問題だった」と指摘する。

 血栓療法中の抜歯については、2004年に日本循環器学会が「循環器疾患における抗凝固・抗血小板療法に関するガイドライン」を発行。「抗血栓療法継続下での抜歯が"望ましい"」との推奨を示した。その後、国内外で抗血栓療法中の抜歯に関して「継続下での抜歯は可能」とのエビデンスが集積。歯科領域でも各種GLが作成され始め、「継続下で抜歯を行う」とより強いニュアンスでの勧告が示されるようになっている。矢坂氏らが当時(2003年)に行った国立病院機構の歯科医師を対象とした調査では、抜歯時に抗血栓療法を「継続する」と回答した割合は22%にすぎなかった。2006年、2009年の同じ調査では「継続する」の割合は70%を超えるまでになっている。

 抗血栓療法に関する「診療科間の認識のギャップ」は抜歯にとどまらない。矢坂氏らが2007年に白内障手術時の抗血栓療法について国立病院機構の医師に行った調査では、眼科専門医の90%近くが「白内障手術の際に抗血栓療法を継続する」と回答したのに対し、脳卒中専門医の約60%は「中止する」と回答。矢坂氏は「白内障手術は無血管野手術なので、眼科医は抗血栓薬を継続していても手術は可能と考えている。しかし、他の診療科の医師はそれを知らない。そのため、抗血栓薬を中止して眼科医に白内障患者を紹介することが起きている」と指摘。関連GLでの無血管野手術時の抗血栓療法の継続が可能であることを明記するなど、他科医師への啓発も必要と指摘する。